都市と農村

 古代には、この世界に都市と呼べるほどの大きな町はありませんでした。当時、国の基盤は農村であり、自給自足が生活の基本だったからです。商業という交換行為が発達するためには、流通に回す余剰生産物の存在が不可欠であって、生産者の自己消費によって生産高の大半が失われる状況にあっては市場というものが成立し得ないのです。

 この状況を変えたのは中世の農業革命でした。効率的な農具が発明されたことや、土地の養分を有効活用する三圃制農業の誕生により、農業生産高が跳ね上がったのです。農民たちは余剰生産物を交換するようになり、交換を効率的に行うために現物経済から貨幣経済への移行が進みました。そうして、商業を仲介するための市場が整備され、そこに多くの人が集まって中世都市となったのです。

 ところで、当時は農村は荘園という扱いをされており、領主によって農奴たちには重税が課せられていました。領主は土地の生産物を納めさせることで、農場――荘園を自分の経済基盤としていたのです。都市の発展により、商業が経済の中枢を担うようになると、当然ながら領主たちの目が都市に向きます。都市に課税し、納税を促すことでこれまで以上の経済基盤を獲得できると考えたわけです。

 しかし、都市はそれを良しとしませんでした。市場の経済力を武器に、多額の金銭と引き替えで手を引かせたり、場合によっては武装し、時には傭兵を雇ってまで、領主に対抗する都市も続出しました。こうして、都市は従来の荘園とは異なる価値観をもって運営されていきました。領主からの自立性が強く、農奴であっても都市へ逃げ込んで1年と1日を過ごせば自由民になる、というルールまでが生まれました。当時の有名な言葉に「都市の空気は自由にする」というものがあるくらいです。

 結果として、非常に簡単な言い方をするならば、農村部は領主制などの旧来の伝統によって価値観が決定され、都市部では経済力によって価値観が決定される、という差異が生まれたのです。慣習・伝統を大事にする地方と、自由競争・効率を重視する都会の差は、都市が生まれた中世の時代から存在していたわけです。

 とはいえ、都市は商品の供給源たる農村抜きには動きませんし、農村も経済を牽引する都市からの需要があってこそ機能します。結局のところ、一つの国には両方の働きが必要なのです。

 きっと、古くから存在した違いは違いとして認めた上で、双方がいがみ合うことなく共存し、個々人が自分に合った場所で生きていけるよう適切な住み分けが行われていけば、それが一番良いのでしょう。ともあれ、田舎が保守的で、都市部が革新的であるという傾向は単なるイメージではないようです。大昔からずっと続いている、理に適った違いなのですから、後は個々人が自分の属する場所を選び取っていけば良いのです。どちらが正しい・どちらが優れているというのではなく、ただそれぞれの場所で如何に正しく生きられるか・どれだけの努力をするか、という問題だと思います。国が立ちゆくためには、生産体制も流通も、そのどちらもが不可欠なのですから。

 あなたは、都会と田舎暮らし、どちらを選びますか? どちらの環境で、より輝けそうですか? 田舎暮らしをじっくりと考えて、これからの生活を考えてみてはどうでしょうか?

カテゴリー: 田舎暮らしコラム

コメントは受け付けていません。