あれこれコラム

あの実業家が愛した別荘・「九年庵」と「白雲楼」

日本には明治以降から大正・昭和にかけて、時代にその名を残した実業家が数多くいます。そして、各分野において「偉人」と讃えられた実業家にはひとつの共通項がありました。それは「人心掌握力に長けている」という点です。

実業界のトップに登りつめるには部下や取引先から信頼される人格が必要であることから、一流の実業家はいずれも人材交流を重要視していました。そのコミュニケーションの場として活用されたのが、彼ら実業家たちが愛した別荘だったのです。ここでは、日本の企業史に多大な功績があった二人の実業家とその別荘にまつわる話題について述べてみましょう。

佐賀県有数の名実業家・伊丹弥太郎

江戸時代末期の慶応2年(1867年)に当時の九州北部、肥前・佐賀藩の御用商人の家に生まれた伊丹弥太郎(いたみ・やたろう)は、電力・鉄道・銀行などの発展に多大な貢献を果たした佐賀県有数の実業家で、貴族院議員としても地元の発展に尽力した佐賀県随一の名士として知られています。

19世紀終盤に「佐賀財閥」と呼ばれたほどの企業グループの総帥となった伊丹弥太郎は、当時関東・関西エリアに大きく遅れをとっていた九州が発展するには、安定的な経済基盤の構築が不可欠と喝破し、電力と鉄道事業に乗り出し、これらはのちの九州電力および西日本鉄道の基盤となりました。

九州財界の巨頭となった伊丹弥太郎は自然と芸術を愛するロマンチストでもありました。京都に代表される和式庭園に造詣が深かった伊丹弥太郎は、現在の神埼市内に九州では最大規模の庭園と別荘を創建することを思い立ち、明治25年に98坪の別荘を建てたあと、明治33年から約2,000坪という広大な敷地に壮大な庭園造りにとりかかります。

「九年庵」と壮麗な庭園の完成

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