あれこれコラム

大物政治家が好んだ別荘地「大磯」

日本には政治家ゆかりの別荘が各地に数多く散在しています。今のように海外旅行が簡単ではなく、レジャーなども限られていた戦前は大物政治家や実業家が休暇をとって骨休めをする場所といえば国内の避暑地に限られていました。特に日本の政権の中枢にいた要人政治家は休暇を兼ねて政策を練ったりする場所として好んで避暑地の別荘を利用していました。

政治家の別荘は都心から離れた地方もいくつかありますが、現在のように交通の便が良くはなかった時代には、やはり関東圏内に別荘を建てるパターンが多かったようです。その中でも神奈川県の南部・湘南地区に位置する「大磯」は、時代を動かした多くのビッグな政治家ゆかりの地でもあります。そこで今回は、大物政治家たちが好んだ別荘地・大磯について触れてみましょう。

別荘文化の中心地であった大磯

明治期以降には文化人や作家・芸術家たちがさかんに別荘を利用するという風習がよくみられ、その別荘に仲間を集めて歓談するという、いわゆる「別荘文化」と呼ばれる独特の習慣が根付いており、これは現代にも引き継がれています。そしてこの風習は政治の世界にまで及び、議会の閉会中に政治家が別荘にこもって盟友を引き入れたり自身のブレーンを呼んで仕事場としても活用していました。つまり、別荘が政権運営の戦略基地として機能していたのです。

明治維新によって身分制度は撤廃されたものの、当時の帝国議会には身分制度の残照ともいえる「貴族院」が明治23年に制定されます。貴族院の制度は大正から昭和にかけて長く続き、廃止となったのは終戦後の昭和22年でした。旧帝国議会では、旧華族階級が議会運営に大きな影響を持っていたのです。かつて伯爵や侯爵だった人物が大臣を務めるパターンも多く、彼らは「殿様」と呼ばれ特権的な待遇を受けており、休日には自身が所有する避暑地の邸宅で豪勢な休暇を過ごしていました。

庶民が立身出世して別荘を持てるようになるには、勉学に励んで政治家となり大臣になることというのが明治以降から戦前までの日本の常識でした。当時の格言として有名な「末は博士か大臣か」といわれていた時代でもありました。

特権階級を象徴する別荘

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