あれこれコラム

偉大な文化人に愛された別荘地「蓼科」

長野県の別荘地といえば軽井沢の地名がすぐに浮かびますが、日本の多くの文化人たちに愛された場所といえばなんといっても「蓼科(たてしな)」でしょう。長野県茅野市にあり蓼科山・八ヶ岳・車山という山岳地帯に囲まれた蓼科高原一帯は古代から風光明媚な健勝地として知られた地域でした。

蓼科は現在も観光地としてまたは恰好のドライブコースとして人気が高く、高原地帯特有のしのぎやすい気候ということで古くから避暑地・別荘地として利用されており、数多くの文化人たちの芸術作品を生んだ土地としても名高い場所です。今回は日本の別荘文化の代表的土地と評価される蓼科と日本が生んだ偉大な二人の文化人たちとのかかわりについて述べてみましょう。

映画界の世界的巨匠が愛した土地

日本だけでなく、世界的な巨匠として有名な映画監督「小津安二郎(おづ・やすじろう)」はその居住地が北鎌倉であったことから「鎌倉文化人」と称されることが多いのですが、実は蓼科に別荘を所有していました。

戦前の無声映画時代から戦後のカラー作品に一貫して流れる「小津調」といわれた独特の雰囲気を持つ小津映画には、能楽や狂言など日本古来の文化をスクリーン上に昇華させるという他に類例のない映像美の世界が展開されています。そして、それらの小津作品の創作の原点はこの蓼科の地にあったといわれているのです。

映画作家・小津安二郎は彼の生涯の盟友でもあり、やはり蓼科に別荘を所有していた野田高梧(のだ・こうご)と共に新作映画の脚本を蓼科の別荘で練り上げていました。小津監督が戦後に発表した映画の脚本の大半は蓼科の別荘で執筆されています。静謐で詩的でもあった小津映画独特の映像芸術は蓼科という日本では他に感じることができない独特の環境があったればこそ生み出されたといっても決して大げさではないでしょう。

小津安二郎と「無藝荘」

次のページ